ここでは、本サイトでご紹介している「カザフ」という人々についてご説明します。

民族 歴史 言語 宗教


 ★民族

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カザフとは、中央アジアに居住するトルコ系民族集団のひとつです。その民族構成は、大きく4つの集団にわけられます。具体的には、トルコ系集団Argyns,Khazars,Qarluqsj,Kipchaks)、トルコ-モンゴル系集団(Kiyat,Dughlat,Naimans,Nogais,Onggirat,Munghut,Jalayir,Alshyn)、プロト-トルコ系集団(Huns,Kankalis,Wusun)、イラン系集団(Sarmatians,Saka,Scythians)の4つから構成されています。


カザフという名称は、15〜16世紀頃から使用されるようになりました。1460年頃にチンギスハーンの長男ジョチの5男の子孫に当たる二人の王族、ジャニベクとケレイがウズベクの支配を離れ、独立政権を立てた際、彼等や彼等の配下のものたちが「カザク」と呼ばれるようになり、これが民族名称としてのカザフの起源とされています。カザフについては、カザフ語では「カザク」、中国語では「ハサク」と呼ばれたりもします。


カザフという名称の意味や起源に関しては、様々に言われています。例えば、13世紀のトルコ-アラビア語辞書には、カザフとは、「独立した」あるいは「自由な人々」を意味すると示されています。一方、カザフという言葉の起源は「放浪する」という意味のトルコ語であるという説も見られます。


【参考】
西村幹也(2011)「モンゴルのカザフ人」日本とモンゴル第46巻第一号(123号)pp25-37
宇山智彦(2005)「カザフ[]」『中央アジアを知る事典』pp117平凡社

 


 

 ★歴史

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カザフ民族は、大きく4つの集団から構成されています。(詳細は、「カザフとは ★民族」参照) それぞれの集団は、5〜13世紀の間、シベリアから黒海にかけての中央アジア地域において活動し、相互に抗争を繰り広げてきました。


1470年頃、キプチャク•ハン国の祖でありチンギスハーンの長男でもあるジョチの五男シバンの子孫に当たる王族、ジャニベクとケレイの二人によって、カザフ•ハン国が形成されました。カザフ•ハン国は、1500年代前半には現在のカザフスタンの領域のほとんどを支配するようになり、その後カザフ草原の西部、中部、東部がそれぞれ小ジュズ、中ジュズ、大ジュズと呼ばれる3つの部族連合体となりました。


1600年から1700年代初頭にかけては、ジュンガル帝国との抗争が続きます。1726年には対ジュンガル帝国戦で、小ジュズのアブルハイルハーンの元、大勝利を収めるなどしますが、ジュンガルとの長きに渡る抗争はカザフの人々に大打撃を与えました。ジュンガルの攻撃から身を守るために、小ジュズと中ジュズは1730年〜1740年代にかけてロシア帝国に帰属しました。(大ジュズは、後の1865年にロシア帝国に併合されました。)



1755年にはジュンガル帝国が滅亡しますが、この頃からカザフ草原地域一帯はロシア帝国の実質的な支配のもとに置かれるようになりました。こうした状況の中、ロシアによる支配を嫌ったアバクケレイは一族を引き連れ、カザフスタンの土地からアルタイ山脈の南麓(現在の中国•新疆ウイグル自治区)に移動しました。


しかし、1800年代になると、今度は移動した土地にて清朝帝国との衝突が起こりました。結局、1844年にカブリシュとジルクシャのふたりが500世帯ほどを引き連れて、アルタイ山脈の南麓から北麓(現在のモンゴル国•バヤンウルギー県)に移動することになりました。


このように、カザフの人々は周辺民族との度重なる抗争の中、移住を繰り返して中央アジアの各地に点在するようになりました。現在も、カザフの人々は、カザフスタンだけではなく、中国、ウズベキスタン、ロシア、モンゴル、トルクメニスタン、キルギルタン、アフガニスタン、トルコ、イランなどに居住しています。


【参考】
小松久男(1999)「ロシアと中央アジア」竺沙雅章(監)、間野英二(編)『アジアの歴史と文化〈8〉中央アジア史』pp184-188同朋社
西村幹也(2011)「モンゴルのカザフ人」日本とモンゴル第46巻第一号(123号)pp25-37
宇山智彦(2005)「カザフ[]」『中央アジアを知る事典』pp117平凡社  

 


 

★言語

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カザフ人の主な使用言語は、カザフ語です。カザフ語は、中央アジアで用いられる主要なテュルク語のひとつです。中でも、キプチャク語(北西語群)グループに分類されます。近い言語として、キルギス語やカラカルパク語などが挙げられます。


カザフ語の特徴としては、母音調和および接尾語の膠着性、主語+目的語+述語という語順、人称語尾の存在などが挙げられます。


カザフ語の方言には、北東方言、南部方言、西部方言があります。語彙や発音に若干の違いが見られるものの大きな差はないようです。居住している地域によっては、他の言語からの表現や語彙の影響を受けている様子が見られます。


カザフの人々の間では、近代に入るまで文字の使用がほとんど行われませんでした。このため、知識や情報は口頭で伝えられ、その結果口承文芸が高度に発達しました。現在では、カザフ語を表すために、改良キリル文字や改良アラビア文字が用いられています。



【参考】
西村幹也(2011)「モンゴルのカザフ人」日本とモンゴル第46巻第一号(123号)pp25-37
坂井弘紀(2005)「カザフ語」『中央アジアを知る事典』pp117平凡社

 


 

★宗教 

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カザフ人が信仰している宗教は、イスラム教(スンニ派)です。カザフの人々は、イスラム教を8世紀頃に受容したと言われています。一方で、カザフの人々の様子からは、それほど厳格なイスラム教徒という印象は受けません。それは、シャマニズムや自然崇拝の要素を多く残している事によると考えられます。近年では、モスクの建設やメッカ礼拝といった動きもさかんに見られるようになりました。

 

こちらの写真は、バヤンウルギー県のウルギー市で撮影したモスクです。


【参考】
西村幹也(2011)「モンゴルのカザフ人」日本とモンゴル第46巻第一号(123号)pp25-37


《カザフとは:文責》カザフ情報局ケステ管理人 廣田千恵子