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木, 26 4月 2012 12:24

ナライハのカザフ人

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先日、ウランバートルの中心を離れて、ナライハというところにいってきました。

***

4月にこっちにきて、ビザのことで色々あったときに、
あるアメリカ人女性と出会いました。

彼女はアーティストだそうで、
世界の色んな民族文化からヒントを得ては色んな作品を創っているそうです。

そんな彼女がモンゴルに来た目的は、カザフの伝統的な刺繍をみること!なのです。
私とは、似ても似つかないほどスタイル抜群の美人の彼女ですが(笑)
年齢も滞在目的も同じだったので、すぐ仲良くなったのです。


で、彼女はたまにウランバートルのイフデルグールの近くにある
マリー&マーサ モンゴリアというお店をお手伝いしているのですが、

そのお店では、カザフ刺繍の施された小物が沢山売られています。


実はこのお店、前から少し気になっていたお店でした。
と、いうのも、手縫いとは書かれているのですが、
あまりにも作りがぴしーっとしてたので、
機械で作ったのでは...と、
思っていたからです。

そこで思い切って、
「実際作っているところを見たい!」と言ったら、
「じゃ、ナライハに行こう!」と言われました。
どうやら、その店のカザフ刺繍商品の作り手は
バヤンウルギーとナライハにいるようなのです。



****

と、いうわけで、ウランバートル中心から公共バスに乗っておよそ40分。(片道800tg: 60円くらい)
ナライハにやってきました。(ここも、ウランバートルの一部)

ナライハについてすぐカザフ人の職人さんの家に案内されました。
雪が降った寒い日だったのですが、とても温かく出迎えて頂きました。

 家に入ってすぐ目についたのが、綺麗ないろの絨毯とクッション!

 

これですよ、これ!

部屋のすみでは、18歳の女の子が洋服用にカザフ文様を刺繍していたところでした。

 

ビズと呼ばれる鉤針を用いて行うこの刺繍を、ビズケステといいます。
その18歳の少女の手つきの速いこと速いこと....。

「いつから刺繍はじめたの?」
「10歳くらいから....。」


どうやら、5月20日にナライハで行われる民族衣装コンテストの準備をしていたようです。


******

刺繍をみていたら、そのお家のお母さんがお茶を持ってきてくれました。
テーブルの上には、カザフのミルクティーと、
サルマイと呼ばれるバター、小麦粉、そしてたくさんのキャンディ。 



お茶を飲みながら、お母さんといろいろな話をしました。




彼女(以下、「彼女」とは、この家のお母さんの事)は、
もともとはバヤンウルギー県のトルボ村の出身で、牧民だったそうです。
子どもは全部で9人!かなり子だくさん....。
旦那さんが亡くなった3年前に、
子ども達をウランバートルの学校に入れる為に、ナライハに引っ越してきました。

なぜ、直接ウランバートルの中心部に行かなかったかというと、
それには理由がありました。



ひとつは、大気汚染。
ウランバートルの大気汚染問題はかなり深刻で、汚い空気を吸うよりは、
多少中心部から離れていても、ナライフの方がいいと思ったそうです。

もうひとつは、ナライフにカザフ人が多いということ
社会主義時代、バヤンウルギーから多くのカザフ人がナライフに移住してきました。
彼等は、鉱山開発の仕事をするために、ナライフに来たそうです。
今ナライフには、だいたい600世帯ほどのカザフ家庭が居住しているそうです。
モンゴル人と半々だろうと言ってました。


ナライハにきてから、子ども達が会社を立ち上げ、
2年ほど前にマリー&マーサと契約。

それ以降、注文をうけて作っているそうです。


彼女は、初めて会ったのにも関わらず、私たちに色んな話を聞かせてくれました。
勿論、話しだけではなく、刺繍をしているところも見せていただいたのですが。


******

彼女は、5歳くらいの頃から、刺繍をはじめたそうです。
彼女自身は、18人兄弟(!?)で、一番末っ子だそうです。
物心ついたころには、
もうお母さんや上のおねえさん達が刺繍したりしているのを、みていたそうです。



彼女のお母さんは、とても頭のいい人だったらしく、幼い彼女に
「将来、社会主義が崩壊する頃には、これは絶対にビジネスになるから。
だから、ちゃんと縫えるようにしておきなさい。」

と、言い聞かせていたそうです。


また、彼女が結婚した頃には、「社会主義が崩壊したら、そんなに子どもがいてもしょうがないんだから、
あんまり多くの子どもを産まないように。」

とまで言っていたそうです。
(ただし、彼女は、母親の言った事を無視したそうですが...。)



彼女に多くの助言をした母親は、とても仕事熱心な方だったそうで、
仕事が多い夏の時期でも、時間を見つけては刺繍をしていたそうです。
また、牧民達は、羊や山羊が狼に食べられないように、見張りにいくのですが、
彼女の家の女性たちは、そのときも、持っていける布と針と糸をもって、
外でも刺繍していたそうです。す、すごい....!


それだけ沢山の刺繍をして、沢山のものを残したのなら、
今、彼女の母親が作ったものがひとつくらい残っているかも!!!
と、思い聞いてみると、自分の手元に残していたものは
子どもたちにあげてしまったそうです。
そして、子ども達はというと、どうもそれを売ってしまったようで....。
ただ、手元に一点だけ、洋服が残っているということだったので、
今度きたときに、みせてもらうことにしました。



ちなみに、「当時は、どんな色の糸を使っていたのですか?」と質問すると、
なぜか、ふふふふっと笑って、
「赤と、白と、黒と、それから黄色。黄色は、駱駝の毛の色ね!
と、説明してくれました。


そのあとも、彼女はいろいろな話をしてくれました。
特に印象的だったのが、
彼女が子ども達の将来を非常に重要視しているということでした。

それは、子どもをもつ親なら当然のことなのかもしれませんが、
子どもを海外に送り出そうと考えていることが非常によく伝わってきました。


彼女の9人の子ども達のうち、
2人はトルコに、1人はドイツに留学をしたことがあるそうです。

「どうやってそんなお金稼いだの?」と聞いてみると、
「羊を200匹売ったのよ!!!」 と言ってました。


今度、息子の一人をアメリカに留学させたいらしく、

そのための資金を稼ぐ為に、がんばらなくては!と張り切っていました。


 とってもパワフルで元気な彼女は、私を家に泊めようとしてくれたのですが、
ここで最悪な事態が発生....。
どうも朝から気分が優れないなぁと思っていたら、遂に発熱してしまったようで、
帰らざるをえなくなりました。最低....。 


本当は、もっといろんな話をしたかったけど、
また遊びにきますね!と、約束をして帰る事にしました。


 *******

さて、明日からいよいよウルギー生活がはじまります。
カザフの人達と一緒に生活することで、
少しでも彼等が何をみて、どんなことを考えているのか、
みれたらいいなぁと思います。


いってきまーす !


最後の写真は、カザフ女性の衣装ケンピル。
50歳以上の女性が着る服らしいです。

 



 

 

 


 



 

 

 


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