カザフスタン (4)
コルダスのお家では、2泊3日の滞在期間中、ヒツジを3頭も屠ってくださいました。
そのうちの一回は、我々も見学させていただくことになりました。
このとき屠ったのはトクタと呼ばれる2歳のヒツジでした。
前脚と後脚を縛って動かない状態にして、コーランの一部を読みます。
読み終わったらヒツジの口に手を挟み、そのまま一気に喉をひと突きします。
ブシュっという音とともに、血が一気に出てきます。
頭を落とすために、首を切ります。
たらいにドンドン血が溜まっていきます。
苦しそうにヒツジが声をあげます。
一緒にいた女の子(日本人)の数名は、怖くて見れないと離れてしまいました。
私はウルギーで同じ光景をたくさん見てきたので、怖いという感情はなかったのですが、でもやはり何度見てもいつもこの瞬間はとても複雑な気持ちになります。さっきまでそこで歩いていたヒツジを、人の手によって屠り、その命をいただく。自分ではない別の存在の命を、とても近くに感じる瞬間です。
これまで何度か遊牧生活の中でヒツジを屠る瞬間に立ちあってきましたが、彼らのそばにいると、カザフ人ならカザフ人なりの方法で、モンゴル人ならモンゴル人なりの方法で、このいただいた命を決して粗末にすることなく向き合っているようすがよくわかります。だから、わたしも、屠畜の際は出来るだけ彼らのそばでみて、この命と向き合いたいと思っています。
話は屠畜の様子に戻りますが・・・
血を抜き終わると皮をはぐことなく、すぐに吊るしてしまいました。後脚を上にしてぶらーん。この家では皮はヒツジを吊るした状態のままではいでいました。
しばらくすると、皮はべろーんと剥がされ、地面に置かれました。皮は、塩をたっぷり塗り込まれて、別のところで保管されました。
解体作業は続きます。お腹をきって、内臓部分をばーっと出します。内臓処理は女性の仕事。すぐに女性が来るのかと思いきや、なかなか女性がやってきません。
内臓を出されたヒツジはその後筋にそってどんどんわけられ肉の塊になっていきます。
すると、途中で男性が胸部から何かをとって、壁の高いところに投げつけました。
ん?一体何をしたんだろう?
「これは、シェメルシェックというんだよ。(日本語でいう、軟骨の部分。)これを家畜が増えますようにとか、子供がすくすく育ちますようにとか、そういう願いを込めてこれを高いところに投げつけるんだ。」
こんな習慣があるとは、知らなかったなぁ〜。まだまだ知らないこといっぱいです。
解体中、一緒にいたカザフ人のおじさんに色々お話をお伺いすることができました。
おじさんによると、カザフスタンでのヒツジの値段は、1-2歳であれば約100ドル、3歳以降の成畜であれば約200ドルとのことでした。成畜の値段は、ウルギーのおよそ2倍です。
ここの家のヒツジの頭数は45頭、ヤギは10頭とのことでした。
話をしていると、やっと内臓処理をする女性が出てきました。
解体もほとんど終わった頃だったので、そのまま内臓処理のほうに移って見学させていただきました。
水でバシャバシャと洗っていきます。使っている水の量はウルギーでみてきたそれとは比べものにならないくらい少なかった。でも、反芻胃、腸など丁寧に洗って綺麗にして、無駄なく使用していました。脂を念入りに集める様子が見られなかったのが、ちょっと意外でした。内臓の処理の仕方ひとつでも、ところどころに違いが見られます。その違いを観察することは、その人が何を大事にして行動しているかということに気づくためのきっかけを与えてくれます。
しばらくして内臓処理も終わりました。
台所に戻ると、早速肉が煮込まれていました。
数時間すると美味しそうなお肉が山盛りになって出てきました・・・
と、いうわけで、この日はみんなで美味しいヒツジ肉をたらふくいただきました。
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カザフスタン
コルダスに着いた翌朝。
明るくなってから家の造りをよく見ると、ウルギーのカザフ人の家にはなかったものが・・・
これ、ご飯作るところかな?
ウルギーで使われている炉とはまるで形が違うけど・・・。
「これは、オシャクっていうのよ」
オシャク?あれ、なんかウルギーでも聞いたことがあるような?
オシャクって確か五徳のことだったような。
このオシャクと呼ばれる炉には大きな鍋が二つ乗せられるようになっています。
この家では、小さい鍋が60ℓ、大きい鍋が100ℓ容量とのこと。
もっと大きい鍋になると、200ℓ容量のものも!200ℓ鍋の事を、タイ・カザンというらしいです。タイとはカザフ語で2歳馬のこと。つまり、2歳馬が入っちゃうくらいの大きさって意味だそうです。わぁ。
燃料には、木と乾燥したウシのふん(テゼック)、小家畜のふんと土が合わさって乾燥したもの(カイ)を使用していました。これはウルギーと一緒でした。この辺りは、家畜を飼っているからふんを燃料にできるけど、家畜を飼ってない地域だと燃料は木材だけなのかな・・・?
調理スペースを出ると、もうひとつ、初めて目にする空間が・・・。
なんだろう、この居間みたいなスペースは。
「これは、ロシア語でタプシャンっていうんだよ。普段はみんなここに座ってお茶飲んだりするんだ。え?カザフ語でなんていうかって?いや~、カザフ語で・・・なんていうのかわからないなぁ・・・」
と、親切な親戚のおじさんが教えてくれました。
ふむ。カザフ語でこの空間を指す言葉がないってことは、元々カザフ人たちの生活の中になかったものってことかな?
お昼頃になると、おばあさんも起きてきました。起きてすぐ、すーっと静かにタプシャンの端っこに座りました。
見た感じ80歳は超えているだろうというおばあさん。この人が昨日のあの敷物を作った人なんだろうか。お話聞けるかなぁ・・・。
「こんにちは。日本からきました。カザフの文化に興味があって、特に装飾文化について調べています。あの家にあった敷物は、貴方が作ったものですか?」
と、聞いてみた。
するとおばあさん、反応がいまいち。
「耳の聞こえが悪いのよ」と、奥様。
まぁ、いきなり初対面でいろいろ聞くのも失礼だよなぁ・・・と思ったそのとき、おばあさんの方から話しかけてくれました。
「どこの人?カザフ語わかるの?」
「手が・・・手が痛くてねぇ。」
他の言葉もいろいろつぶやいていたけど、なかなか聞き取れない。
家の人からきいた話ですが、このおばあさんはキルギスから嫁いできたんだそうです。
おお・・・ますますいろんな話が聞きたいけど・・・今の私のカザフ語能力じゃ無理だ・・・。
おばあさんと私のやり取りを見ていた家族の人たちが、おばあさんに私のことを説明してくれました。私がカザフの装飾文化や手芸について興味があると伝えてくれました。するとおばあさん、ヒツジの毛の糸紡ぎをしているところを見せてくれたのでした。
「こうやって、こうやってやるんだよ。優しく・・・」
と、糸巻を回す手にはまるで力が入っていない感じ。スカスカな感じにみえました。
指先でちょいちょいっと糸巻を動かしているだけ。でもしっかり、糸巻をまわして糸を縒っていきます。
「わたしもやってみていいですか?」
と、言ってみた。糸巻を回されてえいっと巻く。ヒツジの毛を糸巻きで巻くのは、実はこれが初めての体験。さっそく、ぶちっと切れた。力の入れすぎ。焦らず、焦らず、もう一回・・・。今度は、くるくる回せた!
「おお!できてるじゃないか。さすがカザフの嫁!」
と、まわりの家族がひやかしてくる。だから、嫁にはならないってば~。
そのあとお孫さん(?)も挑戦。「こんなの簡単だよ~」と言ってはじめたのですが、もう切れる切れる。全然糸巻を回せてない。
「ああ、ああ。そうじゃないよ、いいかい、こうやって・・・」
と、おばあさんは優しく教えてあげてました。お孫さんをみつめるおばあさんの眼は、本当に暖かくみえました。
その後、タプシャンでおばあさんと一緒にお茶を飲むことに。
「あたしはもうあっちの世界に呼ばれてるんだけどねぇ。でもあっちに行ったら、このお茶は飲めなくなるだろう。おいしいお茶が飲めなくなるのは嫌だねぇ。」
やっぱり、お茶は大事なんだなぁ。
お茶を飲み終わるとおばあさんはお休みに。
素敵なものをたくさん見せてくださったおばあさんに本当に感謝です。
コルダス滞在話、まだまだ続きます。
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カザフスタン
カザフスタンに行って戻ってきてからもうすぐ1か月が経とうとしています・・・。
時間ってなんてはやいんだ!(って、いつもKECTEを書くたびに言ってる気がしますが。)
忘れないうちに、書き残しておきたいと思います。
カザフスタン旅の続きより。
***
カザフスタンに到着した翌々日。キルギス共和国との国境近くのコルダスという街まで行くことになりました。コルダスまではほぼずっと舗装道路。バスに揺られてことこと7時間移動・・・
やっとこさ到着した1軒のおうち。
今回の旅で我々のお世話をしてくれたA大学のとあるゼミの学生さんのご実家でした。
この家に2日間お世話になることになりました。
到着するやいなや、テーブルの上に出されるたくさんの豪華な食べ物たち・・・
おお、さすがカザフ人によるおもてなし。これからお茶会かな?
テーブルには果物やサラダがいっぱい!
ウルギーよりもずっと種類が豊富。中央アジアに来たなぁと実感します。
そしてもちろん肉も山盛りだされました。
うう、にく・・・この時すでに夜9時をまわっていたのですが・・・
食べました。つめこみました。がんばった!
食べました。つめこみました。がんばった!
たくさんの料理を出して、きちんと、そして暖かく迎えてくれる。
これが、カザフ流のおもてなしであって、ウルギーもカザフスタンも変わらないんだなぁ。カザフスタンという場所をどんどん好きになっていく自分がいました。
ご飯も食べ終わり、お部屋に戻るともう寝る時間。
おうちの人が寝る支度をしていてくれたのですが、床にとんでもなくかっこいいものを敷いていることに気が付きました!
じゃーん!
で、でかい~!
120cm×250cmの大きなフェルトの敷物。その全面にカザフ文様が施されています。
「(この家の)おばあさんが作ったのよ」と、奥様。
ウルギーで、サルマックと呼ばれるフェルトの敷物はよく目にしていましたが(コンテンツ:カザフの装飾文化を参照)、それをはるかに超える大きさ。うーん、やはり土地が変われば見れるものも変わる・・・。それにしても、素晴らしい・・・。
素敵な敷物を作ったおばあさん。一旦どんな方なのでしょう。
その話はまた次回・・・。
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カザフスタン
この夏、初めてカザフスタンに行ってまいりました。
モンゴルを出発して、韓国を経由し、カザフスタンへ。
韓国からカザフスタンへのフライト時間はおよそ7時間。中国上空をぐわーっと超えてやっとこさ到着しました。
到着時間は現地時間の夜の21時を過ぎていて、あたりはすっかり暗くなってました。
ちなみに、日本とカザフスタンの時差は3時間です。日本の方が早い。
到着したのはアルマタ(アルマティ)の空港です。
入管のところでは人がごった返し・・・韓国語とロシア語がたくさん聞こえてくる。
韓国とカザフスタンの間はビザの条件が緩和されたようで、たくさんの韓国人が来ていました。
それにしても、カザフ語が聞こえてこない・・・
周りを見回すと看板が。どの看板も、ロシア語とカザフ語が併記されてる。
カザフ語だけの看板がない。
荷物を受け取って、お迎えに来てくださった人たちとご挨拶。
アルマティのとある大学の大学院生さんたちが迎えに来てくださいました。
みなさん英語とロシア語がものすごく堪能。すごいなぁ~と思わず感心・・・。
これからどんな滞在になるんだろうと、ドキドキしながらバスに乗り、
その夜は宿泊予定先のカザフスタンホテルに向かったのでした。
↑明るいときに撮影したカザフスタンホテルの様子。
26階立てです。たかーい。
↑フロントでは美人のおねーさんが優しく(時に冷たく)お出迎え!英語・ロシア語・カザフ語対応。
今回滞在した場所は、カザフスタンのアルマタとその周辺地域。
アルマタはかつてカザフスタンの首都だった場所(現在の首都はアスタナ)で、とても大きな街です。
モンゴルでも見かける古いロシア式の建物があったり、東京にもあるようなやたら高いビル群があったりと、古いものと新しいものが入り混じった街。インフラ整備はしっかりされている印象を受けました。平日日中の交通量はかなり多く、渋滞もそれなりに。通勤ラッシュ時は結構な混雑になります。タクシーを捕まえるのも大変。
それにしても暑かった・・・カザフスタンに来る前にモンゴルにいたというのもあったんでしょうが・・・やたら日差しが強くて暑い。苦しい。日中35℃になったりすることもありました。ひえー。ダウンジャケットまで持っていったのに。まぬけ・・・。ウランバートルよりもずっと南に位置しているんですもの、当たり前ですよね。
ちなみに現地の人曰く、今年は5月6月頃から雨らしい雨が全然降っていないんだとか。こんなことは初めてと、みなさん不思議がっていました。おかげで滞在期間中はずっとお天気に恵まれましたが。
カザフスタンに到着した翌日、お世話になる人たちの大学とその付属博物館にいきました。
自己紹介をすることになったのですが、私はロシア語がさっぱりわからないので、カザフ語で。
すると、ものすごくびっくりされました。
「あなた、なんでカザフ語しゃべれるの?!カザフスタンに住んでいるカザフ人でさえ、カザフ語話せない人もいるのに・・・素晴らしいわ!すごくうれしい!」
「え?本当に日本人?中国のカザフ人じゃなくて?信じられない!」
なーんて言われてしまってびっくり・・・一部の人には手を握られて喜ばれました。
みんながすごくにこにこして話しかけてくれる。こんなに喜んでもらえるとは・・・。
カザフスタンの過去。以前ロシア人が今のカザフスタンの地にたくさん入ってきて、カザフ人の人口をはるかに超える数になってしまい、カザフ語よりもロシア語の方が使われるようになり、たくさんのカザフ人が母語を離せなくなったと言われています。そんな状況だったからこそ、自分の母語を話している外国人に驚いたのでしょう。彼らの笑顔をみて、自分もうれしくなってしまいました。
大学の付属博物館の中に入ると、カザフスタンの言語の複雑な状況がますます伝わってきました。
1936年に最初に建てられたというこちらの自然生物博物館。中の表記の詳しい説明の部分はほとんどロシア語でした。
何書いてあるのか全然わからない・・・。カザフの研究したいならロシア語もわかるようにならないと、と言われた意味をようやく理解した気分でした。
その日のお昼はウズベク料理屋へ。
ラグマンと呼ばれる麺料理を食べました。めっちゃおいしかった・・・。
カザフスタンは野菜と果物が豊富で、滞在中ずーっとおいしいものばかりいただきました。
さすが中央アジア。私の大好物の乾燥フルーツもたらふくいただきました。おかげで太った、太った、丸まった。
はじめてのカザフスタン。
見られるもの、話す人、食べるもの、生活の様子・・・これまで見てきたウルギーとは全然違う。でも、カザフ人の生活。
これからどんな滞在になるんだろうとわくわくしながら、その翌日からアルマタの中心部を離れ、
キルギス共和国との国境に位置する村へ向かったのでした。
つづく
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