牧民の生活の様子 (16)
午前3時、慌ただしくなり、それから暫くすると何人かが外へ出て行った。
私の意識は、連日の早起き&移動で朦朧としていて、何かが起こっているのはわかったんだけど、体を起こし時間だけ確認してダウン・・・。
朝6時すぎ、さすがに何が起きたのか気になって起床。
マヤちゃん含め、家の女の子たちとお父さんがテーブルについてお茶を飲んでいました。
私「なんか、明け方騒がしかったけど、どうしたの?」
ま「姉さんが(マヤ旦那兄の妻)産気づいたの・・・」
ひょ~!?そういうこと?!
明け方、突然陣痛が始まり、お母さん(マヤちゃん旦那母)が付き添って、妊婦さんはそのまま郡中央の病院へ・・・ああ~、だから車の音が・・・
ぽかーんと座っていると、お父さん(マヤちゃん旦那父)が「君の旅はラッキーだねぇ!いいことあるよ!」と。ウルギーを旅していて、滞在先で妊婦さんが出産(病院に行く)のに遭遇するのは実はこれで3回目!新しい命の誕生を一緒に喜べるって、なんか嬉しい。
写真は滞在先のお父さん(マヤちゃん旦那父)と、彼の孫(今回、この子の妹が産まれた)。
病院の方の様子は気になるものの、おかーちゃんが戻って来るまでは手仕事について特に何も質問もできない。
けれども、とにかく私たちはそこのお宅の手仕事ものを見せていただくことに・・・。
まだ夏営地に移動する前ということもあり、わざわざ倉庫から色々出してくれました。防砂壁に、織り紐・・・きっと天幕住居(キーズ・ウイ)の中はすごく賑やかに飾られるんだろうなぁと想像がつく。
家の周りもうろうろしていると、家畜小屋以外に小さな小屋が・・・
なんだろ?
なんと、その小屋はウマの蹄鉄を作る部屋でした。カザフ人は馬の蹄に蹄鉄をつけます。特に、秋以降は全ての馬の蹄につけるんだそうです。冬は雪が積もるので、馬が雪を掘って雪の下の草を食べやすくなるようにと、準備するのです。
「昔はこの家にたくさん馬がいたの。今は馬はいなくなってしまったけど、今でも蹄鉄は作っているよ~。」
なるほど?だから小屋が大きいのかな?
でもなんで、家畜が少なくなっちゃったんだろう。
他に何があるかな~とうろうろしていると、台所近くの天井をみてびっくり。
穴が空いた骨だらけ!
なんだ?なんだ?なんでこんなに骨を溜めてるの??
こんなの他の地域でみたことない・・・。
すると、そこの家のおじいさん(83歳!)が、骨にまつわるこんなお話を教えてくれました。
「むかし、あるところで、ある男が狩りに行くときに、奥さんが骨を40本袋にいれてその男に持たせた。
男はその袋の中身を知らされなかった。男は、狩りを終えて戻る途中で、その袋をあけてみた。
”なんだ?この骨は?”と、その骨の意味がよくわからなかった男は、そのままその骨を捨ててしまった。
その後男は、乞食に襲われ、服も、馬も、獲物も奪われ、ボロボロになり、やっとの思いで家に戻った。
奥さんは”あの骨を捨てなければ、お前の後ろに40人の人が見えて、お前はその乞食に襲われることはなかっただろう・・・"といった。
その後、人々は骨を尊重し集めるようになり、たくさん溜まったら山の綺麗なところ(人が踏み入れないようなところ)に持って行って、骨を置くようになった。」
だそうな。
骨はお守り?それにしても、この「40」という数字。40という数字は、カザフ人にとって「たくさん」を意味する数字だということはきいていたけど、40かぁ・・・。
このお話し、この地域に伝わるお話しなのか、カザフのお話なのか、よくわからず。
今度他のところに行ったときにきいてみようっと・・・。
夕方になると、お母さんが戻って来た。
どうやら、赤ちゃんは無事に産まれたとのこと。よかった~!
赤ちゃんは明日帰って来るときいて、みんな一安心。
「色々私に手仕事のことを質問しにきたんでしょう?悪かったね、明日は色々見せてあげるから」
すかさず、布がみたい!とリクエスト。
ということで、この家のお母さんが作った布をみせてもらうことになりました。
続く。
Published in
牧民の生活の様子
怒涛の1年だった2016年、その年末。
東京でおこなったカザフ手仕事展の会場で、私はあるカザフ人の女の子に出会いました。
東京でおこなったカザフ手仕事展の会場で、私はあるカザフ人の女の子に出会いました。
彼女の名前はマヤ(本名はメイラングル)。
マヤちゃんは、なぜか以前から私のことを知っていたそうで、お互い歳も近くすぐに仲良くなれました。
マヤちゃんは、なぜか以前から私のことを知っていたそうで、お互い歳も近くすぐに仲良くなれました。
彼女の故郷は、バヤン・ウルギーのボルガン郡。ボルガンといえば、布地が見えないぐらいびっしり刺繍で埋め尽くす壁掛け布を作る地域です。手仕事がすごい!で有名な場所です。
い、行ってみたい・・・
夏にあなたの田舎にいきたいといったら、すぐ快諾してくれて、夏に会おうと約束をして別れました。
あれから半年。わたしは、本当にマヤちゃんの故郷に行けることになりました。
ウルギー市からボルガンまではおよそ300km。行きはマヤちゃんの実家のジープに乗って向かいます。まだ外が真っ暗な朝4時に出発。ね、ねむい~
朝5時ごろ、トルボ郡のトルボ湖に到着。5時ですが、朝5時ですが、繰り返しますが朝5時ですが、連絡もせずいきなり友人宅を訪れ「お茶をください」とドカドカと入りこみ、寝てる住民を叩き起こす我ら・・・。これが許されるのがカザフ社会。笑
早朝にも関わらず、嫌な顔ひとつせずお茶を入れてくれたその家の奥様に感謝・・・。
子供たちは茶も飲まずに外で元気に走り回ってる・・・。
道中、車の中はマヤ家族で賑やかに。マヤちゃん、マヤちゃん父母、姉、弟、その友人?、旦那、息子、お姉さんのこども2人、親戚のおじさんとそのこども、そして変な日本人のわたし。5人乗りジープに13人・・・でも子供が4人だったからまだマシな方。
トルボを少し放れたところあたりから運転手がマヤちゃん弟にチェンジ。
え、なんかすごい若いけど大丈夫?え?この子何歳・・・?
え、なんかすごい若いけど大丈夫?え?この子何歳・・・?
ゆーっくり慎重にダートを進んでいく。途中降りて川で顔洗ったり、人の家でお茶もらったり、車がこわれて動けなくなったり、「タルバガンの道」と呼ばれるタルバガンだらけの平原で写真撮ったり、遊んだり・・・進んは止まり、進んでは止まり・・
旅は急がず、焦らず・・・そして出発から12時間後、ついに目的地に到着~!やっほー
最初にお世話になった家はマヤちゃん旦那さんの実家。初めて訪れる家はやっぱりちょっと緊張・・・ついてすぐお肉が出てくるところがさすがカザフ。準備して待っててくれたんですって!やったー
着いた時間は夕方だったのでちょうど搾乳がはじまった頃でした。お手伝いにいこう~とおもって小屋に行ってみると、あれ、ヤギしかいない・・・?
恐る恐るきいてみる。「あのう、ヒツジは搾乳しないんですか・・・?」
すると、「うちはヒツジは殆どいないからね、搾乳しないの」とのこと。
すごく大きな小屋を所有しているのに、どうして家畜がヤギばっかりなんだろう・・・?ウシも少しはいるみたいだけど・・・
搾乳がおわると、仔畜と混ぜて再び放牧へ。日が落ちて暗くなった頃に母仔をわけて小屋にいれます。
夜はお茶と乳製品で軽くすませて就寝。わたしは持参した寝袋に入り込みます。カザフ人の夏営地は結構高いところに構えることが多く、時に標高2700m地点まで行くことも。夜寒いのは嫌なので・・・今年はイスカのマイナス20度対応の寝袋を持参!
ばさっと寝袋を広げたら、その家の女の子に「なにあの赤い袋・・・(←寝袋だって知らなかったらしい)」と呟かれ、変なものをみるような目で見つめられてしまいました。はは・・・
しかーし、寒い思いをすることなくしっかり寝るのは体力温存のためにとっても大事なこと。というわけで、ぐっすり・・・
の、はずだったんですが。
午前3時、家の中が急に慌ただしくなる。あれ?なんだ?この家はこんなに早くから起きるのか・・・?いや、まさか・・・・・?
続く
Published in
牧民の生活の様子
8月3日。バヤン・ウルギー県サグサイ郡に、車で日帰り旅にいってきました。
行先は2ヶ所。
最初の目的地は、サグサイ郡のカク。
カクは、標高2600mを超える高い位置にあります。
万年雪が降り積もった山々がそびえたつ綺麗なところです。
カクには、友人が夏営地を構えています。
留学中に何度かお世話になったエルジャン一家のところにご挨拶にいきました。
電話もメールもせず、いきなり会いに行ったので、ちょっとびっくりされました。
エルジャン家の奥さん、バクシャが織をしてるところでした。
彼女が作っていたこの織り紐、去年私がエルジャン家にプレゼントした双眼鏡のお礼にと織られていました。
幅の広い紐を正確に縫うために、頭を使って慎重に織り進めます。
「夢にみちゃうくらいよ」とバクシャ。
2mの長さに達していたので、そのまま切っていただいてくることにしました。
いつかの機会に、また日本で展示したいものです。
エルジャン家でお茶とご飯をごちそうになって、すぐに出発。
もう一か所の行先を目指します。
サグサイ郡の郡央近くに、留学中大変お世話になったマナ一家が夏営地を構えています。
マナさんの家には、それほどたくさんの家畜がいないので、わざわざ標高が高いところには移動せず、
草の状態がよいところで夏を過ごします。
彼らの家にもまた、何の連絡もせず、突然訪れました。
車が彼らの家に到着し、私が車から降りるとすぐ、マナ家の子供たちが私に気づいて走り寄ってきてくれました。
なかでも四女は両手を広げてすっごい笑顔で飛びついてきてくれたのでした!
来たことに対して、まさかそんなに喜んでもらえるとは思ってなかったから、彼女の心からの笑顔にこっちまですごくうれしくなりました。
その笑顔がみたくて、また何度でも来てしまう。
マナ家は子供が多く、その孫たちも多いです。小さな子供たちが、ウイの中をうろうろしてる。
みんなすごーくかわいいです。いい顔してる。
ベッドをみると、作りかけの刺繍布が立てかけてあります。
「先日嫁いだ三女に贈る布なの」と。
刺繍しているお母さんの姿はやっぱり綺麗でした。
この日は、ちょうどマナさんの次男の子供の成長を願う儀式の日でした。
1歳になった孫の足に、紐とヤギ(ヒツジ)の腸を結び付け、これをはさみできります。
切る人は、その家の家長であったり、客人であったり、歩くのがはやい人であったり。
紐を切るときに、「はやく歩けるようになりますように」と願いをこめて切ります。
このあとお祝いの肉を食べ・・・・満腹まんぷく。おなかが重くて転がりそうになる。
時間はあっという間に過ぎていきます。
泊まらずに帰るのが本当に残念だったのですが、「また来るね」と約束してマナ家を後にしました。
ウルギーに着いたのはすっかり夜。
サグサイではそれぞれ滞在時間は短かったけど、
久しぶりにみんなの顔をみれてよかった。とてもいい再会になりました。
Published in
牧民の生活の様子
7月21日からモンゴルに来ています。私にとってはいよいよ夏がはじまった気分です。
23日からは、さっそくバヤン•ウルギーに。暑すぎず、寒すぎず、とても過ごしやすい時期にきました。
今回は、しゃがぁのボス(西村幹也氏)と一緒にまわることに。
2週間だけの短い滞在期間ですが、
期間中は田舎に行ったりウルギーで人の家に遊びに行ったりしようと思ってます。
土日には早速、アルタイ村にいってきました。
道中では、何回か止まってゆっくり写真撮影も。
いつもは乗り合いタクシーで行っていたので、こうやってゆっくり土地を見ながら移動するのは私も初めて。
いい写真もたくさん撮れました。
アルタイ村では、以前からお世話になっているお家を尋ねる事に。
私がウルギー市内でホームステイしていた家(クグルシンさん)の兄弟達の夏営地です。
クグルシンさんとその兄弟家族たちの集合写真です。
集合写真で、みんななぜか横一列に並ぶっていう。
ひとりひとりの顔が見えにくくなってしまいましたが。
彼等の夏営地は、アルタイ村のジャランガシと呼ばれるところにあります。
村の中心部から20-30km離れたところで、標高は2400m程度とやや高めです。
雨が降ったときは、セーターやらダウンやらを着ないと、寒いくらいでした。
朝の風景。放牧前のヒツジとヤギ
近くによってきたヤギ。ヤギの目って、ちょっと気持ち悪い!
ウシ(ヤク)の搾乳。
ヒツジの毛。今年は買い取り手がいないらしく、あちこちにごそごそと落ちてた。
欲しい人いるかな?
アルタイでの滞在は当初1泊2日だけの予定でしたが、
あちこち移動するより、ここでゆっくり滞在してじっくりと色んなものを見た方が良さそうだなと思い、
明日からまたしばらくアルタイに滞在することにしました。
しかも今回はボスが一緒。
今まで自分では気がつかなかった新しい発見があるかと思うと、今からとても楽しみなのです。
たーくさん勉強してこようと思います。
Published in
牧民の生活の様子
またまたアルタイ村に行ってきました。
行き先は、もちろんババイ家。今回は、夏営地の様子を少しだけご紹介します。
行き先は、もちろんババイ家。今回は、夏営地の様子を少しだけご紹介します。
6月中旬以降、牧民さんたちは、夏営地へお引っ越しをします。
バヤンウルギー県は、全体的に高いところに位置していますが(最も標高が高いところでは4000mを越える)、カザフ牧民は高度差を利用した移牧を行います。
ババイさんたちも、高いところにお引っ越しです。
ババイさんたちの夏営地は、アルタイ村のサエハンボラクというところ。
標高2600~2700mのところに位置しています。
標高2600mを越える場所ですから......
夏とはいえ、長袖とかセーターとか着てないと肌寒いです。
おまけに今年はよく雨が降る年でなかなか暖かくならないと、
みなさん揃ってぼやいていました。
こちらの夏は日本の夏とは違って湿度がないのでカラッと気持ちのいい暑さです。
日陰に入ればひんやり涼しく、風が吹くとさらに気持ちいい。自然のクーラーというわけです。
サエハンボラクは水資源豊かで草の状態のいい、とてもきれいなところです。
草原は一面お花畑!歩いているだけでうきうきしてしまいます。
夕焼けも大迫力でした。空が広くて、雲のもくもくした様子がとても綺麗。
実は、最近こちらで口蹄疫が発生してしまい、一部の村と村の行き来が出来なくなってしまいました。3週間ほどは閉鎖されてしまうとか。アルタイ村も封鎖されている村のひとつですので、この夏はもう行けそうにありません。ちょっと残念。
最後に、余談ですが、今現在バヤンウルギー県内の村々では、今こちらでは、ウシさんがバタバタと倒れて大変な騒ぎです。村で予定されていたお祭りなどほぼ全面的に中止の状態。村と村の行き来が自由にできないということもあって、県央に入ってくる家畜の肉の値段は高騰しまくってます。ヒツジ一頭200,000tg(約14,000円)だったのに、突然300,000tg(約21,000円)に!大変だぁ。。。事態が早くおさまりますように。
Published in
牧民の生活の様子
アルタイでの楽しい時間もあっという間にすぎて、いよいよ帰る日。ババイ家は、とにかくよく笑う明るい一家で、なにか面白い事がある度にケラケラと笑っていて(実際そんな面白くない些細な事であってもよく笑う)、そんな人達とさようならをするときは、やっぱり少し寂しい気もする。
朝、村に向かって歩き出そうとしたら、放牧に出発したばかりのババイさんが丘の上から
朝、村に向かって歩き出そうとしたら、放牧に出発したばかりのババイさんが丘の上から
「また来いよー!気をつけて帰れよー!」って、叫んでくれて、すごく嬉しかった。
夏にまた来れるといいなと思いながら、村に向かってアイジャンと一緒に歩き出す。
ママンゴラ(ババイ家冬営地)を出て歩く事1時間ちょっと。村に到着する。行きにお世話になったお宅にあがり、お茶を頂いていたら、ウルギーに行くタクシーが見つかったとの事。村で宿泊することなく、そのままその日にウルギーに帰る事になった。
行きは5人のジープに15人詰め込まれながら4時間移動という地獄のような状況だったけれど、帰りのタクシーの中はすかすか。私を含め大人は4人、加えて子ども2人という、ゆったりドライブになった。おかげで風景写真も(車の中からだけど)少しは撮る事ができた。
春のアルタイへ向かう道。夏のように綺麗な緑はお目にかかれなかったものの、これはこれで綺麗だた。
さて、車は想像以上に順調に進み、これは4時間と言わず3時間弱くらいで着いちゃうんじゃないか?!と思った。が。
がったん!
突然、すごい変な音。え?なに?
車が止まる。え?なに?なに?
運転手も何が起きたかわからない様子。どうやら、部品の何かが、外れて落ちた??
すぐに車のボンネットをあけて、チェック。こっちの運転手は車が壊れても自分でちゃんと修理できてこそ運転手。とはいえ、なかなか原因がわからず、しばし足止めをくらってしまった。まぁ、これもモンゴルらしいのか。あまり焦らず、あまり時間を気にしすぎず、とりあえず直るのを待つ事にしよう.....。
いつかは動くだろうと待つ事1時間半。遂に車は再び動き出した!この待ち時間が異様に寒かった......。春のモンゴルはまだまだまだまだ、寒い。砂埃をおもいきりたてて、ウルギーに向かう最後の一本道を一気に突っ走り、やっと到着。ああ、疲れたー!
クグルシン家についてすぐにバタンと床に寝転がってしまった。ああ、疲れたー。でも、疲れてもまた行きたくなってしまうのが田舎のいいところ。夏にアルタイに行けるように、そのとき色んなもの見れるように、ウルギーにいる間にしっかり準備せねば。
***
春にアルタイに行ったときに見聞きしたものの話は、これでおしまいです。更新にだいぶ時間がかかってしまい、季節はすっかり夏になってしまいました。明日からそのアルタイにまたしばらく行ってこようかなと、そんな計画をたてている、そんな近況であります。それにしても、滞在二年目は去年より速く時間が過ぎている気がする......。
Published in
牧民の生活の様子
フィールドワーク中、普段は辞書以外の本を持っていかないようにしている。荷物になるし、本を読むより、その場で見れるモノをみる時間の方を大事にしたいからだ。
でも、4月にババイ家に行ったときは、たまたま出発前に読もうと思っていた本を鞄の中に入れていた。松原正毅先生の『遊牧の世界 トルコ系遊牧民ユルックの民族誌から』(平凡社)という本だ。この本は、松原先生が遊牧民ユルックたちと共に過ごした1年間の中で見聞きしたユルック達の遊牧生活について書かれている。本を読めば読むほど、自分のフィールドワークが全く成っていないことを思い知り恥じるばかりだ。でもこの本は、牧民さん達の生活や牧民さんと家畜の関係のどんな部分に気をつけて観察すべきかということを、たくさん教えてくれた。
そこで、この本を参考に、今回ババイさんに家畜について色々と質問してみた。
カザフ人は、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダを家畜としてみなしていて、ババイ家にはラクダ以外の家畜がいる。
私の場合、いつもヒツジとヤギの小屋に入ると、沢山の家畜の数に圧倒され、みんな同じように見えてしまう。ヒツジがわらわら、ヤギがわらわら。300頭以上になると、なかなか頭が働かず、ぱっと見て見分けることはほぼ不可能に近い。でも、人間と同じで、家畜一頭一頭にもちゃんと特徴があって、牧民さんはそれを認識して個体識別している。例えば、家畜の耳。
→カザフ語で、コヤン•コラックという。ぴょんと、うさぎみたいに上向きなお耳。
→カザフ語で、サルパン•コラックという。平べったくまっすぐに伸びてるお耳。
→カザフ語で、モルタック•コラックという。やや下向き、垂れ下がっているお耳。
自分たちで家畜の耳を切ることもある。
→カザフ語で、サラ•ティスィクという。手前の切り目が長い。
→カザフ語で、コマラスカ•エンという。中央に切り込みのある形。
また、家畜の毛の色。
→右側の首が黄色のヒツジは、サル•モイン/左側の全体が赤みがかった茶色のヒツジは、クズル
→この毛色をカザフ語で、コンゴルという。
→この毛色をカザフ語で、ククという。
→真っ黒子やぎ、カザフ語で、カラ•ラックという。
他にも、角の形や、カラダの部分的な色の特徴、性別や年齢などで細かく分けられ識別されるという。よーく見ると、顔もなんだか特徴的だったり。顔にもそれぞれの性格が表れていかのよう。月に数日通っている程度では、なかなか家畜を見分けられないけど、毎日毎日こうやって家畜と接していると、ちゃんと家畜それぞれのことがわかるようになるんだろうなぁ。うーん、そういう彼等の目に近づくことは、まだまだ全然、できていない。
牧民さんは、家畜にかけ声をかけてその行動をコントロールしようとするけど、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ四畜それぞれに対してかけるかけ声は、それぞれ異なるそうだ。
例えば、放牧の際に、家畜にかけるかけ声。
ヒツジ•ヤギを動きを止めるときは、アイチ!アイチ!
進めるときは、ジュギジュギ
と声をかけていた。ただし、このかけ声は人により、家により、異なるようだ。かけ声のボリエーションは多様で、その他に、
ヤギを呼ぶときは、チョコチョコチョコ
ウシに餌を与えるときは、アオホウアオホウ
と、かけ声をかけるという。
搾乳の際に、乳を出しやすくするために、家畜にかけるかけ声は、どこに行っても割と同じで、
ヒツジには、コスコスコス
ヤギには、チゲチゲ(ジゲジゲ)
ウマには、グロウグロウグロウ
ウシには、グルグルグル
と、かけ声をかける。
こうした家畜を扱うための名称、知識、技術などは、長い時間をかけてカザフ牧畜民のなかで受け継がれて来たものであり、彼等の大切な財産であり、今日の牧畜生活に欠かせないものなのだ。こうした家畜に対する話をひとつひとつ彼等から聞く事によって、ちょっとずつ彼等の目に近づければいいなと思う。こうやって、牧民さんと接することができる時間を無駄にしないようにせねば......。
Published in
牧民の生活の様子
すっかり5月になってしまいました.....。アルタイいってから1ヶ月以上経っちゃった。
が、気にせず書きます。今回は、ババイさんと放牧に言った日のこと。
***
ババイ家に来て3日目のこと。その日、タルガットの様子がいつもと違った。普段は着ないようなスーツを着て、おめかししてる。
どうやら、近くで開かれる茶会に招待されたらしく、今日は放牧には行かないとのこと。変わりに、放牧には、ババイさんが徒歩で行く事になった。
徒歩で行くなら!と思い、その日はババイさんと一緒に放牧についていく事に。朝11時頃、小屋からヒツジとヤギを出して、いざ出発!
「山に登るから、しっかりと暖かい格好をしなくてはダメだよ」と言われ、しっかりダウンジャケットを着て行く。ババイさんは、手に双眼鏡を持っている。ババイ家では、放牧のために大きく2つのルートを使っている。この日は、向かいの川を渡り、山を登る事に。この日は太陽は出ていたけど、風が大変冷たかった。少し上の方に行くと、綺麗な雪山が見える。本当にいい景色。
ちょっと登っただけで、すぐに息が切れてしまう私。ヒツジやヤギは、そんな私におかまいなくさっさと進む。朝は速く草を食べたいからっていうのもあって、やや歩くのが速いらしい。「(ヒツジとヤギは)私より全然足が細いのに、なんて健脚なんだろう」と、ぼそっとつぶやくと、ババイさんが笑った。
放牧の際は、家畜にしっかり草を食べてもらって、太ってもらわないと困る。だから、家畜に付き添う人間は、ただ家畜と一緒に歩いているだけではダメで、時々家畜に声をかけたりして移動のスピードを調整する。ずっと歩きっぱなしというわけではなく、むしろ、ゆっくりと座っている時間の方が長かった。
「アイ!アイ!座れー。なんてせっかちなやつらなんだ。ゆっくり草食べなさい。」
と、ババイさんは石に腰をかけながらぼやく。出発して暫くすると、家畜の群れが徐々にバラバラになっていく。ヤギはさっさと先頭を切って進んでしまう。対して、ヒツジはのんびり草を探しながら歩く。
それにしても、辺り一面を見渡してみると、ちょこちょこと黄色の草が生えている程度。こんなんで、家畜はお腹いっぱいになるのだろうか.......。
「ヒツジとヤギは、こんな草を食べるよ。これも、食べる。」と、ババイさんは私の疑問にも丁寧に答えてくれた。
放牧地に向かうと、他の牧民さんたちも家畜を放牧に出しに来ていた。近くによって挨拶を交わす。会話の内容は、近所で茶会があったとか、家であった出来事とか、うちの家畜は〜とか、そんな感じ。暫くぼーっと話をしていると、ババイさんがぼそっと、
「あ。家畜が混ざりそう。」
ぱっと家畜を見ると、離れていたうちの家畜が別の群れに急接近していた!一緒に話してた牧民さんの家畜と混ざりそうになっていたのだ。家畜が混ざると大変!あとでわけるのにひと苦労。ああ、どうしよう....!!!
幸い、牧民さんはウマで放牧に来ていたので、あっという間に群れに追いつき無事に家畜の群れを引き離すことができた。
ああ、よかった。するとババイさん、にこにこしながら、
「わはは、二人も(あたしとババイさん)一緒に放牧について来てて、家畜が混ざったらこりゃぁ恥ずかしいね。オヤターイ。」
......ババイさん、のんき。笑
その後も丘を登ったり降りたりしながら、家畜のごはんに付き添う私たち。ぼーっと眺めていると、なんだか勝手に歌でも歌いたくなってくる。そのくらい、いい景色。知ってるカザフの歌を口ずさんでみる。アケメ(父に)という曲だ。(ナウルズについて書いた時に、その歌のビデオをupしてます。)するとババイさんも一緒に歌い出す。なんて気持ちがいいんだろう。
ババイさんは、いろんなこと質問して来た。日本の生活のこととか。家畜がいないのに、生活は大変にならないのかとか。地震とか津波があって、怖くないのかとか。
自分も、ババイさんに質問してみた。主に家畜のこと。家畜にかけるかけ声のこととか、家畜の特徴のこととかを聞いてみた。(この話の続きは次回に。)ババイさんの家にいるヒツジとヤギは、300頭ちょっと。そのうち、50頭はお兄さん(クグルシンさん)の家畜で、あとは全部ババイさんの家畜だという。「そんなにいっぱい家畜がいるなんて、お金持ちですね」と言ってみた。すると、
「僕たちにとって、家畜は財産なんだ。ご飯にもなるし、売ってお金にすることもできる。長女(アイジャン)が2年後には大学に進学する事になる。そのときに、アイジャンが望むようにしてあげられるように、お金が必要になれば、この家畜を売ってお金を工面するつもりさ。だから、家畜は大切なんだ。」
そう話していたときのババイさんの顔は、娘に幸せになってほしいと願う、本当に優しいお父さんの顔だった。
ぐるっとまわってまわって、午後2時をまわったころ、ヒツジとヤギを残したまま、一旦家に戻ることにした。家に向かう道の途中で、突然ババイさんが「あ。」と言って立ち止まった。
彼の目線の先をみてみると、丈の短い草が生えている。でも、その草の色が......緑だ!
「いやぁ、緑が出て来たねぇ。もうすぐ暖かくなるだろうねぇ。」
と、やっぱりにこにこしながら、草を見ていた。
それから家に戻って、私は少し疲れてしまい、ゆっくりお茶を飲んでくつろいでいると、ババイさんがいつの間にかいなくなっていた。午後4時頃の事だった。ババイさんは、疲れているだろうと、私を気遣ってだまって放牧地に戻ったのだ。
最後まで、一緒に行けなかったのは残念だったけど、ババイさんと二人で放牧にいって、家畜に関する色んな話を聞く事ができた。これについては、また次回。
Published in
牧民の生活の様子
今日は、インターネットカフェに来てるので、思い切ってもうひとつ記事更新!
***
アルタイ村で迎える二日目の朝は、少しのんびりはじまった。とはいえ、一家を支える奥さんの朝は、はやい。7時ちょっと前、まだみんなが寝息をたてて寝ていたときに起き上がり、すぐに火をつける準備をはじめるマイグルさん。暫く外で作業をしていると、大きな洗面器に小麦粉を大量に入れて運んで来た。どうやらバオルサックを作るらしい。バオルサックとは、カザフ人が朝昼と茶を入れるときに一緒に食べる揚げパンみたいなものだ。(バオルサックの詳細は、こちらへ。)バオルサックを作るときは、小麦粉を寝かせる必要があるから、大抵朝から作る準備をはじまる。
8時をすぎた頃から、なんとなく、みんな目が覚めて来たようで、9時頃には朝の茶を入れて飲み始める。10時近くになって、ババイさんとタルガットが家畜を入れている小屋に向かう。朝、数頭のヤギの搾乳を行うため、搾乳するヤギの首を縄で繋げていたのだ。
↑手前、繋がれているヤギたちを搾乳する。
この時期はまだ搾乳はあまり本格的には行わない。この時期は、仔畜を育てることが優先される。さて、その仔畜は?というと、ん?姿がみえないけど、声が聞こえる。あれぇ?
あ!
奥の小屋に別に入れていたようだ。母畜と仔畜を一緒にしてしまうと、仔畜が母畜の乳を吸い尽くしてしまうため、人間が得られる乳がなくなってしまう。そのため、このように母子を分離させて管理するのだ。人間の搾乳が終ると、いろいろ母子対面のお時間。おお、母を呼ぶ仔畜の鳴き声と子を呼ぶ母畜の鳴き声が、大合唱を起こしている!扉をあけると、ものすごい勢いで仔畜が飛び出してくる!お母さん、どこ?!仔畜は母を探すのに必死だ。なかなか母を見つけられない仔畜には、人間がちょっとだけ、お手伝い。
↑母羊を探すタルガット
ちょこっとビデオもどうぞ。→http://youtu.be/dd3h6ffi1lk
朝の光景「仔畜飛び出す」
仔畜に乳を与え、お腹いっぱいにしたところで、時刻は11時を少しまわっていた。いよいよ母畜を放牧に出す。仔畜はまだ一緒に放牧についていけるほどの体力がないということもあり、お留守番。さあ、ここで母と子を分離させるのが、ひと苦労。扉に人間が立って構え、母畜と去勢家畜など放牧に連れて行く家畜だけを外に出し、仔畜をなんとか出さないようにブロックするのだ!仔畜のスピードが速いか、人間の瞬発力の方が勝るか!
数頭はうまく外に出てしまうものの、放牧に行く前に外で捕まえたりもする。それでもなんとか無事に母子をわけて、さぁ、出発!放牧には、タルガットが馬でついていく。他の家の家畜と混ぜないため、また、家畜にバランスよく草を食べさせるようルートや放牧時間などを調整するのだ。
家畜を放牧に出すと、女性には家の仕事が待っている。朝はやくマイグルさんが練っていた小麦粉をこれから細かく切り分けてバオルサックを作るという。この頃、ようやくアイジャンも起床。マイグルさんとアイジャンで、バオルサック作りをする。
↑これがバオルサック
バオルサックが作りおわってからも、石炭出しや家の掃除、水汲み、家畜の小屋の掃除や、仔畜への餌やり(草を与える)など、家に残った人間には仕事はたくさんある。この日は合間をぬって、髪を洗ったり洗濯をした。
そうこうしているうちに時刻はあっという間に15時を過ぎる。放牧にいったタルガットがお茶を飲みに戻ってくる。タルガットは、お茶を数杯飲むと、また忙しそうに外に出て行ってしまった。仔畜の餌やりを手伝いにいったのだ。この家は人が少なく、労働力が足りないため、家族みんなで協力して仕事を行う。タルガットは、16時すぎにはまた家畜のほうに戻ってしまった。
夕方18時頃、家畜が放牧から戻ってくる。家畜を小屋に入れると、再び仔畜とあわせて仔畜に乳を与え、再度分離させる。分離する作業、子羊はまだしも、子やぎが半端なく面倒くさい。
子ヤギのほうが子羊より好奇心旺盛で、身軽であるため、ぴょんぴょんぴょんぴょん、それはもううんざりするほど勝手にあちこち飛び跳ねるもんだから、捕まえるのにひと苦労.......。あんなに可愛いなぁって思ってた子やぎが、憎たらしくて仕方なくなる。捕まえて締めてやる!!!!!!!(怒)
↑憎たらしい子やぎ、そのいち
↑憎たらしい子やぎ、そのに
まるで、全力で鬼ごっこしてるみたい。小学生の頃だったら、毎日鬼ごっこしてたら、まだあんまり疲れなかったかもしれないけど、この歳(まだ25歳だけども)にこれだけ激しい追いかけっこを毎日するのはしんどかった......。牧民さんの体力、おそるべし。
こうして、家畜の世話を終えたのが20時をまわったころ。この後、21時頃から夜ご飯を食べ、さらにお茶をのんだ。ちなみに、この日の夜ご飯は、クジェ(麺入りのスープ)でした。(クジェの詳細は、こちらへ)
やっと寝床に入ったころ、時計は23時になっていた。一日中走り回ったり、力仕事して、すごい疲れた...............。日頃の筋肉トレーニングを怠ってはいけないなと思いながら、この日はいつの間にか深い眠りについてしまった。ぐう。
つづく
Published in
牧民の生活の様子
こんにちは。ケステの更新がかなり不定期になっています。ごめんなさい。ここ最近、こちらでは連日強風が続いております。強風の前後はインターネットの繋がりが特に悪く、なかなか更新できない状態にあります。かならず更新しますので、気長に待っていただけると、嬉しいです。
***
アルタイ村について、一晩があけた。外は、すごくいい天気だけど、寒い。太陽は出ているけど、外に出るときはダウンジャケットを羽織らないと、ひんやりとからだが冷えてしまう。朝起きて、お茶をのみ、パンとバオルサックをかじり、一段落したとき、泊まった家の旦那さんがバイクでアイジャンの家まで送ってくれると言ってくれた。有り難い。
二台のバイクが玄関でスタンバイしていた。アイジャンは旦那さんのバイクに、私は旦那さんの友人のバイクに乗って出発する。アルタイ村は小さな村なので、バイクであっという間に村はずれに出てしまう。村を抜けると、すぐ一面に大きな大きな雪山が見える。アルタイ山脈だ。うわぁ、なんて綺麗なんだろう。
バイクで冷たい風を切りながら、一気に走り抜ける。目の前に広がる綺麗な景色に心を打たれて、なんとかシャッターを切ろうとするものの、全てをすっぽり包んでしまうような景色の全てを写真に収めきれるはずもなく、必死に撮った写真もなんとなく味気ない。せめてしっかり目に焼き付けておこうと、運転手の背中からがんばって顔を出す。
山をみていると勝手に笑顔になってしまうから、ふしぎ。すごいパワーだとおもう。山のゆったりとした流れが、いつまでもみていたいって気分にさせる。草の色は黄色。ここが一面緑になる時期はまだまだ遠い。この道の草が緑のときは、もっともっときれいなんだけどなぁ。それにしても、わたしのバイクの運転手さん、ちょっとスピード飛ばし過ぎ......手がガチガチに凍えて動かなくなってしまった。(後で聞いた話だけど、彼は中学3年生だったみたい。無免許....。こっちではたまに小学生がバイク乗ってるの見るから本当にびっくりする。)
アイジャン達が遥か後ろに小さく見える。もうちょっとゆっくり進んで.....と言おうとしたとき、アイジャンの家が前方に見えてきた。30分弱のドライブはあっという間におしまい。アイジャンの実家、ママンゴラに到着する。
ママンゴラについてすぐ標高をチェックする。ママンゴラの標高は2300m。うーん、寒いわけだ。家の中から人が出てきた。アイジャンのお父さん、ババイさんだ。10ヶ月ぶりの再会、すぐに握手を交わす。私と握手を交わすとすぐに、娘をぎゅーっと抱きしめる。ババイさんは、アイジャンのことが本当に大好きだ。アイジャンのお母さんも出てくる。マイグルさん。すっごい細身なのに、すっごいよく働く元気な人。
アイジャンの家は、4人家族。ババイさん、マイグルさんと、アイジャンの弟のタルガットがいる。タルガットは学校には行ってない。人手が少なくて困っている両親を助ける為に、学校を辞めて家で放牧のお手伝いをしている。毎日毎日、家畜を放牧に連れて行くのは彼の仕事だ。
家につくと、アイジャンはなんとなく、安心した表情になった。「やっぱり、自分の家が一番ラクでいいよ。」という。その気持ちは、なんとなくわかる。やっぱり「家」ってすごいなぁって思う瞬間でもある。
外に出ると、小屋から高いトーンの鳴き声がきこえてくる。産まれて間もない仔羊と仔やぎ達の声だ!3月に出産のピークを迎えたらしく、今は落ち着いているらしい。
こうしてみると、家畜の幼稚園みたい......
まぁまぁという鳴き声が可愛いけど...仔畜の世話は色々と大変なんだよなぁ...
到着した初日は、疲れていたということもあってなんとなくからだを休ませながら過ごした。この数日間で、何が見れるか.....
つづく
Published in
牧民の生活の様子
More...
4月はじめにバヤンウルギー県アルタイ郡にいってきました。今回から、アルタイで見聞きしたことを少しずつ更新していきます。少し文章を多めに、旅の様子を綴ってみたいと思います。
アルタイ郡は、私が普段お世話になっているホストファザーのクグルシンさんの故郷です。今回はクグルシンさんの弟さんの”ババイさん”の家にお世話になりました。ババイさんには、二人のお子様がいて、長女のアイジャンは県央の学校に通う為、普段はクグルシンさんの家に居候してます。(ちなみに、ババイさんの家には、去年の6月も訪問していて、このblogにも夏営地への移動の話しなどを書きましたので、宜しければご覧下さい。)
***
それは、ナウルズの時のこと。アイジャンが「もうすぐトクサン(休み期間のこと)になるから実家に帰ろうと思うんだけど、姉さんも一緒に行く?」と聞いてきた。4月はやることが多くて、最初はあまり乗り気ではなかったけど、アルタイは景色もいいし、なんとなく、気分転換にいってみようかなと思い、結局行く事に。
アルタイ行きのタクシーは、あまり本数が多くなくて、市場に行っては尋ね歩きながら探す。4月4日木曜日の午後、タクシーが見つかったので、出発する事になった。15時頃、家にタクシーがやってくる。田舎行きのタクシーは、ロシア製のジープかワゴン。アルタイは県央から120kmほどの近いところに位置しているのでジープで向かう。移動時間は平均4時間。もちろん、モンゴルなので、道中いつ何が起こるかはわからない。時間は計算しない方がいいのは重々承知の上での話しだ。
さて、運転手込みの5人乗りのジープに、私たちが乗ろうとしたときには、すでに先客が.....。前の座席に運転手と大人1人、後部座席に子ども3人と大人3人が既に乗っている。え、どうやって乗れっていうの....。
なんとか狭いスペースをあけてもらったけど、それで1人分。結局アイジャンが私の膝の上にのって移動することに。お、重い。私より遥かに体重が重いであろうアイジャンがどっすりと私の膝の上に座り込む。出発3分でもう足がジンジンしてくる。
これで4時間耐えるのは、ちょっと無理なんじゃないか?と思ったとき、横に座ってたおばさんの口から残念な一言がぽろりと漏れる。
「これからまだ増えるわよ」
え”。一体どうなってしまうんだろう....?5人乗りのジープにすでに大人7人と子ども3人が乗っているというのに。結局その後ウルギー市内をぐるぐると2時間もまわり、さらに大人1人子ども4人を乗せ、一台のジープに15人詰め込まれた。まったく、景色をたのしむどころじゃない。運転手は、運んでやるんだからいいだろうって顔してる。「くそう。金ばっかり取って!」っと、アイジャンがぼそぼそと文句をこぼす。午後17時30分、ようやく車はウルギーを後にして南へ進む。
★途中下車のときに。今回はこのジープで移動でした。
アルタイまでの道の状況は他の地域に比べればまだいい方だけど、それでも自分の座るところを確保するのがやっとの状況の中、4時間の移動は地獄以外のなにものでもない。結局、隣にいたおばさんが前に行き、アイジャンが隣に座り、アイジャンのかわりに小学校3年生くらいの男の子を乗せて移動することになった。
わたしの左横に座ってたおじさんは、こころよく別のカザフ人の女の子を膝上に乗せてたけど、あの子、絶対60kgはあっただろうな。一瞬私の上にも乗ったけど、無理!!!!と思って、すぐにどいてもらった。さらにその女の子の上に、小学校6年生の女の子が座っている。3人重ねだ。おじさんの優しそうな顔が徐々に険しい顔になっていったのが、内心ちょっとおもしろかった。
車の中からはいろんな会話が聴こえてくる。カザフ語だけじゃなくて、モンゴル語も聴こえてきた。一番左端に座ってた女性はモンゴルの民族衣装を着ている。アルタイに住んでいるモンゴル人らしい。そういえば、アルタイ村ではモンゴル人が歩いているのをよく目にする。男性も女性も、民族衣装を身にまとっているから、すぐわかる。その彼女の子ども達が、5人同乗していた。うち3人は、後ろの荷物と一緒に混ざっている。小さい子どもは、荷物と一緒に跳ね上がる度に、きゃきゃと楽しそうに騒いでる。うーん、子どもになりたい。
★ぎゅうぎゅう詰めの移動も、楽しい旅に変えてしまうモンゴルの子ども達。
助手席にはカザフ人のからだの大きなおばちゃん2人が押し込められた。助手席のドアは、道ががったんごっとん大きな窪みに入る度に、自動ドアのようにバーーーーーンと開く。いやいやいや、危険すぎるでしょう。それでも、性格が大らかなおばちゃん達は文句ひとつこぼさずゲラゲラ笑いながら、ドアが開く度に力強く思い切り引っ張って閉める。
18時近くになって出発したので、暗い中での走行となった。あんまり車に強い方ではないので、酔わないように意識を保っているのに必死だった。がたがた道は当たり前。崖脇を通ったり、溶けそうになってる氷の河を渡ったりと、難所は盛り沢山だ。それでも、ジープは大きなエンジン音を響かせながら進む。
突然、アイジャンが寒い寒いと泣きそうな声で訴えてくる。一番右端に座っていたアイジャン。脇の扉には大きな隙間があって、その隙間からかなり冷たい風が入ってきていたのだ。生憎の前日の雪のおかげで、風は普段より一層冷たい。仕方なく、着ていたダウンジャケットを脱いで、扉を塞ぐのに使わせる。
私は薄いジャケット一枚になり、今度は徐々にこっちのからだが冷えていく。アイジャンと、斜め前にいた小学校6年生の女の子と手をつないで暖め合いながらやりすごす。この小学校6年生の女の子は、一人でウルギー&アルタイ間を行き来しているという。この子はカザフ人だけど、モンゴル語も話せるし、英語も勉強しているらしく、いろんな言葉で話しかけてくる。
こんな子どもも一人で移動できる。周りの大人が、子どもを助けてあげるのだ。子どもだけじゃなくて、大人同士でも声をかけあって、助け合う。よくわからない日本人の自分にだって、とても親切にしてくれた。なんだか安心して旅ができる。今回はそのまま突っ走ったけど、途中で下車して道中の家庭でお茶を飲む事もある。(その場合、親戚の家だったり、友人の家だったりすることが多い。)運転手も、すれ違う車が知り合いの車だったら、車を止めてのんびり挨拶を交わす。故障してる車があったら、止まって援助する。ここでは、人々は変に時間に捕われることなく、その場の状況にあわせて焦らずゆっくり進む。ジープでの旅は疲れるけど、でも、とても楽しい。
気がついたら時刻は21時30分をまわっていた。前方にアルタイ村の光がうっすらと見えてくる。村の中に入ると、まず助手席のおばさん達が降りていく。とくにさようならを言う事もなく、さらっとどこかへと行ってしまう。私はやっとアルタイに着いたのが嬉しくて、思わずにやにやと顔がゆるんでしまう。くるっと左を向くと、モンゴル人のおばさんとぱちっと目があう。私はよほどアホっぽい顔をしていたのだろう。私の顔をみた瞬間、それまでずっとだんまりだったおばさんが、ゲラゲラと笑い出す。それにつられて子ども達もゲラゲラと笑い出す。私もつられて笑ってしまう。ほっとした瞬間だった。
車を降りたとき、ものすごく冷たい空気にびっくりしたけど、それよりも頭の上に広がってた綺麗な星空にもっとびっくりした。手はひんやり冷えきってたし、足はガクガクいってたけど、でもその星をみただけで、まぁいっか、って気分になってしまう。アイジャンの家は、村からに5kmほど離れたところにある。この日はもう真っ暗になっていて、徒歩で移動するのは危険すぎるので、村の親戚の家に泊まる事になった。お肉と麺スープを出してもらい、暖まってから、アイジャンとふたり同じベッドに潜り込んでぱたりと寝る。.....ぐうぐう。
Published in
牧民の生活の様子
今回は、「テゼック拾い」について紹介します。
まずは「テゼック」について簡単にご紹介したいのですが....。
テゼックとは、これです↓じゃーん!
乾燥した牛の糞の事です。なぜこれを拾うのかというと、テゼックはウルギーのような木の少ない乾燥地域の「大事な焚き付け燃料」だからです。草をいっぱい食べた牛から出た糞は、カラカラに乾燥すると、草と変わらないかのように良く燃える燃料となるのです。
勿論、火をつけるのに石炭を使う家庭もありますが、石炭はお金もかかるし、出てくる煙も汚い。それに比べてテゼックはそこら辺に落ちてるからお金かからないし、出す煙も汚くない。わお!牛さんって、とってもエコ!^^
テゼックはよく燃えるに加え、しっかり乾燥したものを燃やしてつけた火は暖かい。しかも、燃えカスに熱が残るので、炎が消えてしまってもテゼックの燃えカスの上に新しいテゼックを足せばマッチを使わずともあっという間に火がつくのです。すごい便利!
ガスや電気によって火をつけない牧民さん達にとって、テゼックは無くてはならない生活必需品なのです!ですが、このテゼック、厳冬期(1~2月)には集められなくなります。理由は色々ですが、第一に雪が降り積もり牛が得られる草の量が減ってしまうため。また、マイナス40℃〜50℃にもなると人間にとっても外での長時間の作業は厳しいからです。
そのため、今!!!!この時期に冬に備え、テゼックを拾いに行かねばならないのです!!!!ものすごく大事な仕事なのです!と、いうわけで、前回(10月)のサグサイ滞在中は、お世話になっているマナ家の三女アゲリカと一緒に毎日テゼック拾いに出かけてました。
*****
「はい、この袋持っていって!」とアゲリカに手渡されたのは、容量10kgほどのずた袋。これをもって、さぁ、出発!
↑テゼック拾い中のアゲリカ。
とりあえず、家の近くをうろうろ。草原には、牛の糞がたくさん落ちてる。どれでも拾い放題!ただし、問題は、ちゃんと乾燥してるかどうかを見分ける事。おそるおそるテゼックらしき牛の糞を蹴り上げてみる。ん!コツン、カツンって音がした!これは大丈夫!ん?グニャ?これはダメ....。だんだん、蹴らなくても見た目で判断できるようになってくる。なんとか、一袋集めた!よし、この調子で、もう一袋....。
最初の頃は、余裕があったんです。「あの外国人、サグサイ村に何しに来たのかしら?」って人が聞いたら「テゼック拾いの修行にきたんだろう?」って噂になるくらい、上手くなってやる!!!!と、思ってたんです。(あとでこの話をカザフ人にしたら、めっちゃ笑われた....。)
でも、1時間経過し、2時間経過し、3時間経過し.....だんだんお腹がすいてきて.....3袋目を集め終わったくらいで、もう限界だ!!!と、叫びそうになったり.....。タイミングよくアゲリカが「じゃ、そろそろ終わりにしよう!」と声をかけてくれて、ああ、助かった!
「アゲリカは、何袋集めたの??」と聞くと、「10袋集めたよ!とるごい(私の事)は?」と聞かれてしまった。ガーーーーーン!!!10袋!?あたし3袋しか集められなかったよーーー!(泣)
↑拾っては積み上げ、拾っては積み上げ.....。
しかもアゲリカは、途中で携帯いじりながら、べちゃくちゃ友達とおしゃべりまでしてたのに....。子どもの頃からの積み重ねか。素晴らしい......。感心してしまいました。
*****
10月下旬、県央(アイマグ)のクグルシン家に戻ると、こちらでもテゼックを拾いに行こうと話になっていました。当然、同行したいと名乗り出ました!これは、修行の成果を見せる時だ!
で、とある平日の朝。クグルシン家の2人と一緒に、テゼック拾いに出発!県の中心から30kmほど北西へ向かった平原で、拾い集めることになりました。
↑こんなところ。夕日に照らされて黄金色にヒカル草はとてもキレイだったケド.....。
ところが、ここ、サグサイみたいにテゼックが沢山落ちて無い!!!なんでーーーー?!(あとで、その地は冬営地だっていうことと、県から近いため他の人も拾いに来るっていう理由で少ないのだと知った。)
この日、私に渡された袋は、容量20kg......集めても集めても、全然袋が満たされない。一方、妹分のジャナルは、あたしがやっと3分の1集めた頃にもう満タンにテゼックを集めきって、早くも2袋目に。
いったい、どうやったらそんなにはやく集められるんだろうか.....。あのサグサイでの修行は、なんだったんだぁ.....。全然袋がいっぱいにならない.....。あまりの私の鈍さにしびれを切らしたのか、遂にジャナルが「姉さん、一緒にまわろう。」と言ってくれました。
すると、気がついた。あたしの視界はせいぜい前方90度くらいしか見えてないのに対して、ジャナルは多分240度くらい周りが見えてる.....!!!!「ねぇさん、そこに落ちてる。」「ほら、あれ拾ってきて!」と、指示がどんどん出る出る.....。うーん、ジャナルとアタシの草原の見方、全然違う!集めるのが、速いはずだよなぁ。
袋がいっぱいになると、ジャナルは「おりゃぁ!」と20kgのテゼックを担ぎ上げてズンズン歩く。す、すげぇ。男前だ。一方のあたし、20kgを持ち上げた瞬間、袋に潰された......。
↑ジャナル。袋の淵までびっしりテゼックを拾う。
今はテゼック検定10級くらい超下っ端の私ですが、いつかはアゲリカやジャナルのように....テゼック検定五段くらいになりたいなぁと、風に吹かれながらぼぉっとくだらない事を考えつつ、結局この日は、6時間もぶっ通しでひらすら外でテゼック拾いしてました。3人で約220kg分拾いました。車が重そうだった。
↓最終的には、容量20kgの袋11袋分を集めた。死ぬほど疲れた。
↑乗用車に詰め込む。ちなみに、見えている座席は、運転席と助手席.....。
ぐへぇ。お腹空いた。帰りはヘトヘト、夜は爆睡しました。よだれが出るほど.....。
カザフ人女性たちって、この重労働に加えて、他の家事も見事にこなし、更にはアレだけの見事な刺繍やら装飾品やらを作り上げるんだから.....すごい。テゼック拾いを通じていろんなこと、考えさせられました。うん、また行ってこようっと。
Published in
牧民の生活の様子
10月中頃から1週間ほどサグサイ村のマナさん宅を訪れていました。9月に行った頃よりぐっと寒くなっていて、冬の帽子かぶって、ダウンコート着て、セーター着て、股引はいて、分厚い靴下はいてと、上下ともしっかり暖かい格好しての滞在となりました。
そりゃ、寒いけど.....でも、秋の草原は空がきれいです。雲がぐーんと広がっている感じ。空の色もだんだん優しい色になっている気がします。
天気がいい日にぶらっと家の近くを散歩してみると、川が凍り始めているのが見られました。
上流の方から冷たい水や氷が流れてきて凍るんだとか。遂に凍る時期が来たかぁ。川も一年のうちに様々な変化をみせます。春には、氷がとけてちょろちょろと流れ始め、夏には、ザーザーと力強く水が流れます。秋になると、凍り始め、氷がごとりごとりと流れてくる音がきこえます。そして、冬には一面凍り真っ白く雪がつもり、無音が聴こえてくるでしょう。川の周りに生える草の色も、ゆっくり少しずつ変わっていきます。
↑春のようす
↑夏のようす
↑秋のようす。さて、冬は?
季節によって変わるものといえば、他には何が?このサグサイ村で見られる鳥の種類もまた、季節によって変わります。春夏には、トルガイと呼ばれる小さな鳥があちらこちらで飛回っているのがよく見られます。トルガイは、辞書で調べると一言「スズメ」と書いてありますが、小さい鳥の大半がトルガイと呼ばれていて、いろんな種類があるようです。とはいえ、ちゃんと図鑑とかで調べてないので、一部現地での呼び名で紹介となりますが....。
↑これは、ジャズトルガイと呼ばれている鳥。「ぴょろろろろ」って鳴く。
夏も本番になってくると、どこからか「ぽぽぽ」「ぽぽぽぽ」という声が聞こえてきます。バベシックと呼ばれる鳥です。夏だけやってくるとか。
↑鳴き声だけでなく、容姿も特徴的
他にも夏には鶴やツバメがよく見られました。夏から秋のはじめにかけては、白鳥の姿もみられます。
やがて、それらの鳥達の姿は見えなくなり、本格的な秋冬に入ります。今回、ぶらっと散歩したときは、カササギの姿がよく見られました。カカカカって鳴く。
そして、家畜の様子にもまた一年のうちに変化が.....。家畜のたちの大きさ、毛の状態、そして、鳴き声など、四季によって変わっていきます。例えば、春には、マーマーと、新しく生まれた小さな家畜たちが一生懸命鳴いている声が聴こえていたのに、夏、秋をすぎると、立派な家畜に成長して、声もすっかり太くなってメェーメェーとしっかりした鳴き声が聴こえてきます。(ちなみに、羊の鳴き声の方が低くて太い声で、ヤギは高い声でメェメェと鳴く)
↑マァマァ幼稚園状態だった仔家畜たちも.....
↑みんな大きくなった!
他にも草の色、咲く花の種類、風の音など色んなもので草原の四季をたのしむことができます。うーん、やっぱ見てて飽きないなぁ。サグサイ村の冬にはどんな様子が見られるのか。今から楽しみです。
Published in
牧民の生活の様子
今回は、1件目のお宅ケンデバイさん家(ホストファザーのクグルシンさんの弟さんの家)で見たものを少しご紹介したいと思います。
ケンデバイさんのお宅にお邪魔したのは6月5日。ちょうど、夏営地(カザフ語でjairau)に移動する前の、ちょっとバタバタしてた頃のことでした。
ケンデバイさんのお宅にお邪魔したのは6月5日。ちょうど、夏営地(カザフ語でjairau)に移動する前の、ちょっとバタバタしてた頃のことでした。
前回もご紹介したとおり、ケンデバイ家があるアルタイ村の「ジャランガシ」というところは、近くに川あり、山あり、湖あり、野生動物も多く生息しているという自然豊かな場所です。
ケンデバイ家は、山の斜面をちょっと下った平らな場所に建てられています。3年前にここに冬の家を建てたとのことでした。
↓敷地の全体像
この辺には、狼も生息しているということで、家畜を放牧させるときは、ほぼつきっきりで様子を見に行きます。
家畜の放牧に行くのは、一家の大黒柱であるケンデバイさんのお仕事。ケンデバイさんは今年で51歳。足も腰も結構痛くなってきてて、毎晩放牧から戻るとぐったりしてるのですが、それでも毎日山へ放牧に出かけます。
↓こちらケンデバイさん
↓放牧に出かけるところ
私も何度か一緒に様子を見にいったのですが、足腰痛がってる51歳のケンデバイさんの方が山登るのはやくて、ちょっとショックでした。。。全然ぜぇーぜぇー言ってないし。
勿論、ずーっとつきっきりで動きっぱなしというわけではなく、時々石の上に座って休みつつ、家畜が十分草を食べられるように配慮しながらあちこちまわるわけです。
それにしても、夏は日差しが強くて暑いし、冬は凍るように寒いし。この土地の場合は、道は急斜面だしごつごつ岩石だらけだし。体に負担がかかるようなことばっかりです。「僕たち牧民の仕事っていうのは、家畜とは離れられないからねぇ。」と、ケンデバイさんはにこにこ笑いながら穏やかに話をしてくださいましたが、決して楽な仕事ではないのです。
さて、家に残っている女性たちはどんな仕事をしているのかというと?
まず、午前中は親家畜とわけて放牧に出す仔家畜たちの様子を見なくてはいけません。この仔家畜たちは、まだ遠くまで草を食べにいく体力がないので、家から近いところの草を食べにいきます。
↓仔家畜抱いてるところ
とってもかわいいんですよ!
そして、家事仕事。家の掃除は一日に何回もします。また、家だけでなく、小屋の掃除もします。小屋の中には、羊や山羊の糞や毛玉がごろごろしてて、一日でものすごく汚くなるのです。でも、この小屋掃除が結構大変。。。
↓掃除中
↓キレイキレイしたあと
腰を曲げて低い姿勢でがつがつ土を削らないといけないし、小屋が広いせいでなかなか終らないし、せっかく綺麗にしても奴らが帰ってきたらたった1時間後にはもう汚くなってるし。
それでも、ここのうちの子どもたち、(反抗期なので多少文句を言いながらも)毎日仕事きっちりやってます。ちなみに、この小屋掃除、他の家ではあまり行われてませんでした。「本来ちゃんと毎日やるべきなのよ。」とお母さん。このお母さんも働き者です。
他、川に水を汲みにいって、洗濯して料理して、燃料となる乾燥した牛の糞(カザフ語でテゼック)を拾いに行ったり。なんだかんだと一日中忙しいのです。
午後17:00頃になると、親家畜が放牧から帰ってくるので、また一仕事。そう、搾乳の時間です!母羊、母山羊を一頭ずつ捕まえて首にぐるぐる縄を巻きずらーーーーーーっと一列に並べます。こんな感じ。
いやぁ、暑苦しそうですねぇ。この子達から乳を頂くわけです。結構大変な作業なのです。(搾乳については、別途詳しく書きたいと思ってます。)
搾乳が終ったら、今度は仔家畜と親家畜とまぜて、もう一度放牧にだします。放牧から帰ってくる事にはすっかり夜になってます。こうして、今日も一日お疲れさま、っと夜ご飯を食べて、就寝します。疲れたぁ〜...おやすみなさい......zzz
Published in
牧民の生活の様子